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           タイから覗いたビルマ(ミャンマー) 報告
ビルマ(ミャンマー)難民視察、人権問題調査―2008,2,11〜2,14

                          参議院議員・民主党
難民・外国人の人権問題検討チーム 
主査      今野 東

 

1月の半ば、人権NGO・ヒューマンライツナウの弁護士さんから、一緒にタイに行きませんかと誘いを受けました。ヒューマンライツナウの方々とはビルマ(ミャンマー)から日本に逃れて来た難民申請者の方々の支援をめぐって付き合いがあり、国際人権基準の啓発と実現のための活動について共感を覚えてもいたので、その調査、視察にぜひ参加したいと思いました。しかし国会開会中でもあり、実現には国会の了承と、各部署の理解が必要です。法務部門会議の参議院側の責任者・千葉景子参議院議員より、難民・外国人の人権検討チームの座長として行くべきではないかと理解をいただき、党の国際局長・岩国哲人衆議院議員からも「私も行くことを検討した・・・」と、その重要性について認識を示していただき、参議院からの了承も取り付け行ってまいりました。

 目的の地は、タイとビルマの国境メソット(Mae Sot)です。メソットを拠点として、ビルマの軍政から逃れて来た活動家達が、様々な運動を展開していると聞きました。また、メソットのすぐ近くに、タイ国境周辺では最も大きいメーラ難民キャンプがあり、そこで難民の方々の実体を知ることも大きな目的となりました。

 2月12日、チェンマイを朝7時半に発って、車でおよそ5時間、メソットに着いて最初に訪ねたのは、AAPPB(ビルマ政治囚支援協会)でした。ビルマまで捕らえられた政治囚やその家族の支援、刑務所の状況の監視、政治囚の解放後のリハビリ支援、国際的NGOとの連携によるアドボカシー活動などを行っている組織です。主なメンバーと話をすることが出来ましたが、どの人も、刑務所に12年いたとか、14年収容されていたとか当たり前のように言うことにまず驚きました。

「9月前は1100人、今は700人増えています」
「ある僧侶は精神病院に入れられました」
「最高僧侶協議会、長老評議会の僧侶54人の内10人は辞退しました」
「日本人も殺されているのに日本政府の対応はそれでいいんでしょうか、不満です」
「中国については日本以上に怒りを覚えます。軍事政権を延命させたからです」
ビルマの民主化を求める人の、現政権への不満の嵐が砂埃となって吹いているのを感じます。

  次に訪ねたのはNLD・LA(国民民主連盟・解放地域)の事務所です。NLDはアウンサウンスーチーさんが書記長をつとめるビルマ最大の政党ですが、このNLD・LAは、その国外版です。やはりビルマで捕らえられ、投獄された後、逃れてきた活動家やその家族、または、捕らえられるおそれがあってメソットに逃れてきた人の支援も行っています。ここにいた31歳の青年は、仏具商をしていたそうですが、僧侶のデモの支援をして当局から呼び出しを受け、そのようにして捕まえられた知人が多くいるので自分の身も危ないと思って逃げてきたという事でした。政府の弾圧の後、治安部隊は,デモの時に映した画像や情報をもとに、デモに参加した僧侶はもちろん、支援をした市民も逮捕しているようです。

  夕食を兼ねて会ったのは、BLC(ビルマ法律家協会)の皆さんでした。BLCは難民化したビルマ人の救援の他、ビルマ民主化のために闘う人々に対して法的支援をするために結成されました。BLCの代表のアウン・トゥーさんに話を聞きました。「人権という概念をしっかり持った法律家を育てるためにロースクールを設立し2年間活動してきたが、資金的に非常に困難な状況で、今は実質的な活動が行えない状況だ、何とかならないだろうか」と相談されました。ピース・ロー・アカデミーは司法試験などの資格を取る学校ではなく、2年コースで国際人権法、比較憲法、民主主義の理念等の教育を行っている機関です。長年続いている軍事政権化でまともに人権教育や、民主主義教育を受けてこなかった少数民族の若者達が勉強してきたそうです。こういう所に日本として支援の手を差し伸べる事はできないのでしょうか。

  翌2月13日、UNHCRのメソット事務所を訪ねました。所長は日本人の税田さんです。税田さんによれば、タイ政府は1998年まで難民キャンプへの国連の介入を拒んでいたそうです。それでは1998年まで難民キャンプはどのように統率されていたかというと、カレン族のKNUカレン解放戦線が力を持っていて、貿易にかかわる関税でキャンプ運営をしていたのだそうです。しかし、2006年12月にカレン解放戦線のボーミャ将軍が亡くなってKNUそのものの力も落ちしばしば混乱が起きているのだということでした。

  メソット市内から車で15分ほど行くと、山の中に突然集落が見えてきます。メーラ(Mae La)難民キャンプです。ちなみにタイは、国連の難民条約に加盟していません。キャンプの入口には、タイ政府が立てた立て札に、ここは「一時的な避難所」であるという表示がありました。キャンプ地の中に入ってみると、それなりに建物や道路が整備されている感じがします。しかし、どの建物も堅牢とは言いがたく、屋根はほうの木に似た葉っぱで葺かれていていかにも粗末です。もちろん道路は人の足で踏み固められただけの埃っぽいものでした。建物の後ろに廻れば、汚れた水が溜まっています。しばしば、マラリアが発生するそうです。

  ここに、戦闘から逃れてきた人2万6千人、政治的迫害を受けてきた人1万4千人、学生千人、4万1千人人以上の人が暮らしています。タイ政府の本音はこれ以上難民を受け入れたくないようで、毎日200人から300人の難民をビルマ側に追い返しているという話も聞きました。
キャンプには世界の各地からNGOが入って支援していますが、日本のNGOはSVA・シャンティ国際ボランティア会の図書館活動のみです。難民の人々と今後どうしたいかという話をすると、もう20年もタイにいるのでタイで生活したいという人もいました。ここで生まれた子どもはキャンプ地での生活しか知りません。しかし、大人達の多くは、ビルマが民主的な国家になればビルマに帰りたいと言います。アメリカはビルマからの難民7万人のアメリカ定住を受け入れました。

  キャンプでは、アメリカに定住する事が決まった人々が、お金の種類など基本的な生活の仕方を学んでいました。なかには、高齢の方もいます。すでに肉親がアメリカに渡っているので行くことにしたそうですが、25セントを「はい、これはなんでしょう」と質問されて「クオッタ(クオーター)」などと答えているおばぁちゃんが、はたしてアメリカに渡って幸せな暮らしを獲得する事ができるのだろうか、と心配になりました。日本も、ビルマからの難民を受け入れるべく法務省、外務省などで勉強会を始めたということですが、難民化した彼らが最も求めているのは、民主化が実行された母国ビルマに帰ることだということを忘れてはならないと思います。

  難民キャンプからメソット市内に戻って、NCUB(ビルマ連邦国民評議会)の事務所を訪ねました。事務局長のウー・マウンマウンさんと会うことが出来ました。日本の連合とも連携を持ってビルマの民主化のために活動しているそうです。現ビルマ軍事政権は、新憲法を発表し、5月に、この新憲法の国民投票を行う方針だそうですが、民主化を求めるNLDやNCUB が、議論の中に入っていない新憲法など認められないと強く主張していました。また、軍事政権の終わりを待つのではなく、終わらせなければならないのだと決意を語っていました。
この日の夜、1990年の選挙で国会議員として当選した3人の方と夕食を共にしました。ボーラ・ティンさんはアメリカ・ワシントンDCに、ティン・スゥーさんはインドに、ウー・アウンテン・セインさんはタイに逃れているそうです。口々に、日本が果たす役割の重要性について話しておられました。明日は、1990年の選挙で当選した方の内2、30名が亡命先からメソット市内に集まり『亡命議員団会議』を開くのだと聞きました。

 メソット滞在3日目の2月14日、昨晩お会いした方々に『亡命議員団会議』にゲストとして来てほしいと招待を受けたのですが、朝になってもその場所がまだわかりません。ビルマから、タイ側に千人を超える諜報捜査員が来ているという話も聞きました。秘密裏に行われる『亡命議員団会議』の場所についても変更に変更を重ねて行われるようです。指定の場所まで行って、そこで連絡を待って会議が行われる場所に行きましたが、この緊張感は、ビルマ国内の民主化を求める人たちが常に味わっている身の危険につながっています。
会議では、各少数民族の代表のスピーチが行われていました。ビルマは、日本の1,8倍の領土を持ち、人口およそ5千万人。その内の70%がビルマ族で、そのほか多くの少数民族がくらしています。少数民族の方々もKIO(カチン独立機構)、KNU(カレン民族同盟)などそれぞれが組織を作って民主的政権の樹立を模索しています。私もスピーチを求められましたが、アジアの国の国会議員の一人として、ビルマの民主化に強い関心を持っていること、5月の新憲法制定選挙は、ビルマの民主化へのプロセスとは思えないこと、など話しをさせてもらいました。

 メソットでの調査の最後に急遽、ビルマとタイの国境を見るという行動を入れる事にしました。もちろんいくつかある国境検問所のひとつなのですが、メソット市内からほんの10分のところに、橋の上に作られた検問所がありました。500バーツ、およそ1,500円を払えばだれでもビルマ側に渡れます。タイ側には、迷彩服を着た軍人達があちこちに立っていますが、緊張した様子はまったく見られません。試しに「一緒に写真を撮ってもいいか」と聞いてみると喜んで応じてくれました。よくあることなのでしょう。

 橋の下を流れる川は、歩いても渡れるぐらいの水量のところもあって、500バーツを払わない人たちが平気で渡って行きます。川の向こうは違う国という光景は、国境について緊張感を持った事のない日本人であることを感じます。調査、視察を終えて、チェンマイに向かう車の中でカレン族の実質NO1のリーダーがメソットの街中で暗殺されたというニュースを聞きました。表面上は危うさを感じさせない日常がありますが、危険と隣りあわせでビルマの民主化を求める人たちの活動があることを実感させられました。

 日本は、何をすべきなのか真剣に考えなければなりません。15万人とも、16万人とも言われる難民について、我が国への定住をはかることをすばやく行うべきですが、ビルマ政府に対してどのように民主化への雰囲気を作って行くのかについては、政府の対応は極めて鈍いと指摘せざるを得ません。外務省に聞けば「経済協力は2003年5月30日の事件以降、新規の協力案件は見合わせている」と言いますが、ビルマの輸出総額の25%を占める天然ガスの開発については、日本政府としても関わり、出資しています。ビルマ軍政はそうして得た資金を、国民の教育や医療ではなく、軍の存続と拡大のために用いてきたのではないかと思われます。ビルマ軍の規模は1988年以来拡大しています。それは18万人から45万人に増えた兵士の数を見てもあきらかです。購入された武器がビルマ国民に対して用いられ、無数の人権侵害を引き起こしている実体も知らなければなりません。

 ビルマ軍政に対して強い影響力を持つ中国への働きかけも含めて、我が国は、ビルマの民主化に向けて最大限の努力をすべきです。民主党はその事を政府に求めつつ、多くの民主化勢力との対話につとめるべきでしょう。そうすることがアジアの安定の大きな力となるはずです。
 最後に、この調査・視察についてディレクションしていただいき、同行していただいたヒューマンライツナウの渡邉彰悟・伊藤和子両弁護士に心から感謝を申し上げます。

 




 
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